1935年福岡県生まれ。昭和28年から伊藤清永氏に師事。芸術院会員、日展前理事長、白日会会長。
写実と一口にいっても、歴史的に見るとかなり幅の広さを持っているのが解る。ベラスケス・カラヴァッジョなどの骨太の写実、ティツィアーノ、レンブラントに見る人間の内部に視点を据えたもの等多様だが、共通するのは、人間の眼で凝視された、人間愛からの視点である。
上京して画家を目指した当時、具象の範疇に含まれた写実は、抽象の嵐の前に、かろうじて命脈を保つ存在でしかなかった。
時は移って、今日での写実は時代の与望を担ってか、至極当然のように市民権を獲得した。而し今日巷に溢れ、目にするものの多くは、写真のメカニズムに頼った、細密描写の氾濫である。
世の中のニーズと言われてしまえばそれまでだが、これを写実の全てと言うのはあまりに側面的に過ぎるのではあるまいか。
写真が発明される以前のヨーロッパにも、細密で人間業とは思えないミクロの現実への肉薄と挑戦があり、後年写真を巧みに利用したドガは、肉眼では捉えられない瞬間の速さを写真を活用して理解したもので、決して写真の転写ではなかった。
私は写実はあくまでも人間の眼が限界に迄対象に迫り、心で把握し得た者だけに許される天与の産物であると考えている。
ホキ美術館が写実絵画に眼を向けてくださるのは、時宜を得て、誠に有難い限りである。ここで問われるのは、勿論作品と作家であるが、同時に評価を受けるのは、コレクターである保木さんご自身の眼であることは申す迄もなく、期待が寄せられる所以でもある。